1/2は箱根駅伝でしょ!【2026年1月2日更新】|静岡県沼津市・三島市・富士市・静岡市の外壁塗装・屋根塗装専門店 塗替え情報館
2026.01.02 (Fri) 更新
【2026年1月2日更新】
皆さん、明けましておめでとうございます。
今年も、塗替え情報館へのご愛顧のほど、宜しくお願い致します!
1月2日と言えば、「箱根駅伝」ですね!
その箱根駅伝にまつわるノンフィクションの話を進めていきます!
🗻 富士山に捧げられた「新年最初の歓声」:箱根駅伝と、希望の軌跡
1.始まりは、学生たちの「アメリカに負けるな」という熱意から
日本の正月三が日の風物詩と言えば様々ありますが、最も国民の心に強く結びついている行事の一つに、箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)があります。
これは単なるスポーツイベントではなく、新年最初の希望と努力の象徴として、毎年、数百万人の人々の心を動かし続けています。
しかし、この壮大なイベントの始まりは、非常に素朴で、熱い若者の情熱からでした。
時代は、1920年(大正9年)。第一次世界大戦が終結し、日本が国際社会の中で新たな立ち位置を模索していた頃です。
当時、日本陸上競技界の父とも呼ばれる金栗 四三(かなくり しそう)が、この駅伝の創設者です。
金栗は、1912年のストックホルムオリンピックにマラソン代表として出場しましたが、異国の地での慣れない環境と猛暑のため、途中棄権という苦い経験をしました。(金栗の「消えたランナー」としてのエピソードは有名です。)
彼は、日本人の体格や持久力は欧米に劣るのではないか、という国際的な壁を感じていました。
そして、「世界に通用するランナーを育てるには、長距離を走る力を養う訓練の場が必要だ」と強く決意します。
彼は、当時、東京高等師範学校(現・筑波大学)の学生たちに、世界レベルで戦うための「練習」として、東京・読売新聞社前から、箱根の温泉地までを往復する長距離継走を提案しました。
これが、後の箱根駅伝の原型です。
当初はわずか4校、たったの4人で走る、非常に手作りの大会でした。
当時の世間は、この新しい試みにほとんど関心を示しませんでした。
お正月に、山越えの長距離を走る。(最初の頃は1月中旬や2月開催ということもあったようです。)
これは、お正月を家で静かに過ごすという日本の伝統的な慣習を破る、挑戦的な行為でした。
しかし、金栗と学生たちは、新しい時代、新しい日本の力を示すために、この「希望の軌跡」を元旦に刻むことを選んだのです。
2.「世紀の茶番」から「国民の情熱」へ
初期の箱根駅伝は、現代のような華やかなメディアの注目を浴びるどころか、「学生の無謀な競争」「茶番」と揶揄されることもありました。
沿道には観客もまばらで、ランナーたちは、まだ舗装されていない、砂利や泥の道を、孤独に走り続けました。
特に箱根の山越えの区間は過酷を極めました。
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復路6区(山下り): 標高874メートルの最高地点から、一気に約20キロメートルを下る。膝と太腿に尋常ではない負担がかかるこの区間は、まさに「下りのマラソン」であり、初期のランナーたちは、ゴール後に自力で歩くことすら困難になる者が続出しました。
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食料の確保: 戦前や戦後の物資が不足していた時代には、補給食も十分ではありませんでした。ランナーたちは、沿道の住民から差し入れられた握り飯や、冷えたお茶で飢えをしのいだといいます。
しかし、この厳しい試練が、ランナーたちの間に「襷(たすき)」に対する、尋常ならざる敬意と情熱を生み出しました。襷は、単なる布切れではなく、「前走者の努力と、チームの未来への希望」を託された「魂のバトン」となりました。
転倒し、血を流しても、区間を走りきり、力尽きる寸前に次のランナーに襷を渡す。
この行為は、当時の日本人にとって、単なるスポーツの感動を超え、「困難な時代を、次世代につなぐ責任感」のメタファーとして捉えられ始めます。
転機が訪れたのは、戦後の復興期です。
日本が敗戦の絶望から立ち上がり、未来への希望を必死に探していた頃、元旦のラジオやテレビで中継される箱根駅伝の映像は、人々に大きな勇気を与えました。
「前のランナーがどんなに遅れていても、次のランナーが必死に巻き返す」というドラマは、敗戦国が世界に追いつこうと奮闘する日本の姿と重なったのです。
3.「山の神」と、奇跡のドラマ
箱根駅伝の魅力は、その過酷な自然条件が生み出す、予測不可能なドラマ性にあります。
その中でも、特に語り継がれるのが「山の神」の伝説です。
1. 初代・山の神:柏原竜二(東洋大学)
箱根の山登り、5区(20.8km)は、最も過酷で、最もドラマが生まれる区間です。
ここで驚異的な記録を叩き出し、一躍国民的ヒーローとなったのが、東洋大学の柏原 竜二選手です。
2009年、彼は1年生で5区に抜擢されます。
彼はこの区間で、従来の記録を大幅に更新する驚異的な走りを披露しました。
彼は、後ろを振り返ることなく、まるで重力を無視するかのように山を駆け上がり、チームを優勝争いの最前線に引き上げました。
彼の登場は、箱根駅伝の歴史を塗り替えました。
彼はその後も4年連続で5区を走り、その度に区間新記録を樹立し、「山の神」と呼ばれるようになりました。
彼の走りは、「人間は、限界を超えて、奇跡を起こせる」という元旦のメッセージを、国民に強く印象付けました。
2. 襷の重み:大ブレーキと再生の物語
しかし、箱根駅伝は、希望だけではありません。それは、絶望と再生の物語でもあります。
2007年大会では、優勝候補と目されていた順天堂大学の今井 正人選手が、5区で「大ブレーキ」を起こします。
彼は、本来の実力を発揮できず、体調不良に苦しみ、順位を大きく落としてしまいます。
当時の監督は、沿道の声援が彼のプレッシャーになっていると感じ、「もう誰の声も聞くな。自分の心臓の音だけを聞け」と指示を出しました。
今井選手は、その後、自らのペースを取り戻し、襷をつなぎましたが、チームの連覇の夢は途絶えました。
しかし、この失敗こそが、彼の真の成長の糧となりました。
翌年、彼は再び5区を走り、見事に復活の区間賞を獲得。
彼は後にプロランナーとして活躍し、「失敗は、次の挑戦の足場になる」という、箱根駅伝の最も重要なメッセージを体現しました。
箱根駅伝は、単なる勝敗を超えて、学生たちの「成長の設計図」を沿道に描き出すのです。
4.沿道に見る、日本の「集合的希望」
箱根駅伝がお正月の風物詩として定着した最大の理由は、「沿道の観客」というノンフィクションの主役たちにあります。
お正月の早朝、まだ夜明け前の凍えるような寒さの中、毎年、沿道には約120万人もの観客が押し寄せます。
彼らは、単にレースを観戦しているのではなく、「新年最初の努力」を讃えるために集まっているのです。
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老若男女の応援: 沿道には、親子三世代で訪れる家族、OB・OG、そして通りすがりの人々が入り混じります。彼らは、自分の母校だけでなく、全てのランナーに対し、「頑張れ!」と、心の底からのエールを送ります。
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「無言の応援」の力: ランナーが苦しい上り坂を走るとき、沿道の観客は、あえて声援を控え、静かにランナーの背中を押します。その「無言の応援」は、ランナーにとって、自分一人ではないという連帯感を生み出します。
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初詣との融合: 多くの人々は、箱根駅伝の応援を、新年の初詣や初日の出を見る行為と同じように、「新しい一年への決意表明」として捉えています。ランナーの汗と涙を見ることで、自分自身も「今年一年頑張ろう」という希望をチャージしているのです。
この集合的な熱狂は、「お正月の朝に、無私な努力を目の当たりにする」という、日本独特の希望の儀式となっています。
5.襷が繋ぐ、終わらない希望の物語
箱根駅伝のゴールは、東京の大手町です。
復路の最終10区、アンカーランナーが、大手町のゴールラインに飛び込む瞬間、そこには、過去2日間の全ての努力、喜び、そして挫折が凝縮されています。
勝利の歓声と共に、最下位のランナーがゴールした後も、物語は終わりません。
繰り上げスタートとなり、襷を繋げなかったチームの選手が、規定の時間後に、「自校の襷」を手に一人で走り出す姿。
彼らは、既に順位を争う権利を失っていますが、それでも走り続けます。
それは、「来年、必ずこの場所で襷を繋ぐ」という、未来への約束を果たすためです。
この瞬間に流れる涙は、敗北の悔しさだけでなく、「終わらない挑戦」への決意の表れなのです。
箱根駅伝は毎年、日本の最も厳しい自然と、最も純粋な若者の情熱が交差することで生まれる、壮大なノンフィクションドラマです。
それは、
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金栗四三の「世界に通用する日本人を育てたい」という、約100年前の夢
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学生たちの「チームのために走る」という、自己犠牲の精神
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沿道の観客の「新しい年に希望を見出したい」という、国民の集合的な願い
これら全てを「襷」という一本の布が繋いでいます。
お正月の朝、富士山の雄大な姿を背景に、若者たちが必死に走る姿は、単なるレースの光景ではなく、「どんなに困難な道でも、諦めずに前に進めば、必ず次の世代へと希望を繋げる」という、普遍的なメッセージを、日本の全ての人々に届けているのです。
私たち塗替え情報館も箱根駅伝を見て、次につなげる希望を持って、今年も頑張ります!
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